ローマ・テーゼについて

トロツキー/訳 西島栄

【解説】これは、トロツキーがコミンテルンのイタリア委員会の一員として起草した文書であり、当時、最も攻勢理論の急先鋒で統一戦線戦術に反対していたイタリア共産党を説得するために1922年3月半ばに書かれたものである。イタリア共産党は1922年初めの第2回大会(ローマ大会)に向けて、コミンテルンの統一戦線戦術と対立するローマ・テーゼを起草した。その内容を知ったコミンテルン指導部は、このような路線が先進資本主義国における革命を挫折させる可能性があることを認識して、それを正すための文書をイタリア中央委員会に向けて送ったのである。この文書はなかなか発表されなかったが、結局、1922年11月になってから、『共産主義インターナショナル』誌に発表された。後にグラムシは、1924年初頭に、党指導部の再編成を行なう際、この文書をその一つの理論的よりどころにしている。

L.Trotsky, Sulle "Tesi di Roma", Scritti sull'Italia, 1979.


   イタリア共産党中央委員会へ

 

 親愛なる同志諸君

 共産主義インターナショナルは、昨年の12月31日付『イル・コムニスタ』に発表された綱領草案を検討し、執行委員幹部会は、次の点を考慮に入れていただくよう諸君に求める必要があるとみなした。

 

(1)この文書に含まれているのは綱領草案ではなく、イタリア共産党の戦術に関するテーゼである。綱領というものは、発展諸傾向やわれわれの最終目標の実現諸形態を指示するだけであってはならない。それは、現在われわれが大衆を闘争へと引き入れるための過渡的目標を定式化していなければならない。そして、残念ながらこの点では、われわれは今なお労働者階級の多数派を獲得するにいたっていないのである。諸君のテーゼはこの点について何も言っていない。

 このテーゼにおける党の戦術に関して言えば、残念ながら次のように指摘せざるをえない。すなわち、それが党の大多数に理解できないような形で書かれているだけでなく、より重要なことには、コミンテルン第3回大会の諸決定と対立するものだ、ということである。この点を以下に証明しよう。

 

 (2)多数派の獲得問題

 第3回大会で承認された「戦術に関するテーゼ」は次のように述べている。

「労働者階級の多数派に対する決定的な影響力を獲得すること、その中のより先進的な部分を闘争に引き込むこと、現在これが、共産主義インターナショナルの主要な課題である」 [『コミンテルン資料集』第1巻、大月書店、423頁]

 この項目は、諸君の代議員団を含む左翼少数派の代表者に対する闘争を経て承認されたものである。諸君のテーゼは、大会によって拒否された誤りを繰り返している。

 諸君のテーゼの第16項は次のように述べている。

「他方、一定の期間、ないし一般的な活動に着手する前に、党が、プロレタリアートの多数派を自らの指導のもとに置くか、あるいは直接自らの隊列の中に引き入れていなければならない、などと要求することはできない。このような要求をアプリオリに提起することはできないし、それは党の発展過程における真の弁証法的展開を切断するものであり、ましてや、党という規律正しい統一された組織に編入されているプロレタリアートないし党に従うプロレタリアートの数と、組織されていない分散的なプロレタリアートないし有機的なつながりを欠いた同業組合組織に従っているプロレタリアートの数とを対置することは、抽象的に見ても、何の意味も持たない」。

 このような議論はたった一つの目的しか有していない。すなわち、労働者階級の多数派を獲得するための闘争――すなわち、イタリア共産党のような若い党に課せられている最も重要な課題――の必要性を過小評価し、その重要性を低めることである。諸君のテーゼは、労働者全体のための闘争をすること、彼らの獲得を追求すること、労働者階級の多数派の獲得を追求すること、これらのことを党に対して語る代わりに、このきわめて切実な課題が重要ではないことを証明することに向けられた教条主義的な反論を提出している。諸君はかくも深刻な危険の中にいるので、執行委員会は、この危険から党を守るためにいかなる努力も惜しまないつもりである。

 

 (3)情勢と闘争の必要性

 コミンテルン第3回大会が各国共産党に向けて定式化した第2の重要な要求――これは何よりも、ドイツの3月事件の経験から導きだされた教訓にかかわっている――は、闘争に突入する可能性があるかどうかに細心の注意を払うこと、行動の障害を浮きぼりにしている諸事実や諸論拠を考慮すること、である。われわれのテーゼの意味は全体として、実践に関するかぎり、次のような思想に要約することができるだろう。共産党が闘争に突入することができるのは、広範な大衆がその闘争を必要なものであるとみなしているような情勢においてのみだ、ということである。このような教義とは対照的に、イタリア共産党中央委員会のテーゼは、第24項と第25項において、次のように表明している。

「(24)……折衷的で首尾一貫しないやり方で指示や示唆を受けるために情勢を待つことは、社会民主主義的日和見主義に特徴的なことである。もし党がこのようなものに適合することを余儀なくされるならば、共産主義のイデオロギー的・戦闘的構造を破壊することに同意することになるだろう」

「(25)……それに対して共産党が有している特徴は、その統一性と、綱領的過程の全体を実現するその能力にある。なぜなら共産党は、その隊列の中に、狭い経済情勢に直接刺激を与えるためだけに行動を起こす傾向[サンディカリズムのこと]を組織的に克服したプロレタリアートの一部分を結集しているからである。党の運動全体に及ぼす情勢の影響は、直接的でも決定的なものでもなくなる。それは、個々人にとっては制限された意義しか持たない批判意識や意志のイニシアチブが党という有機的集団の中で実現されるかぎりにおいて、理性や意志に依存したものとなる……」。

 マルクス主義よりもむしろブルジョア社会学の空文句に近いこのような文言の意味を理解するよう努めるとすれば――明らかに、それは容易なことではないが――、こうした理屈はいったいどういう意味を持っているのだろうか? その意味はこうだ。歴史的に形成された情勢を闘争のために利用することは、日和見主義である。批判意識は有利な情勢を待つことはできない、それは情勢に依存していない。それは闘争をいつ開始するかのイニシアチブを自由に選ぶことができる、と。これが、コミンテルン第3回大会で拒否された攻勢理論の焼き直しでなくて何だというのか?

 たしかに、テーゼのこの項に続く項では、この事実をおおい隠そうと、この冒険主義的理論をわずかな言葉で粉飾しようとしている。だが、この理論はテーゼにおける危険な要素として引き続き効力を保っており、この要素が紙の上に存在するだけでなく、党員の頭の中にも存在している場合には、党自身にとって最も大きな危険性をもたらすものとなるだろう。

 

 (4)統一戦線

 コミンテルン第3回大会は、戦術に関するテーゼにおいて、統一戦線の形成に向けたわれわれの努力を次のように定式化している。

「労働者階級の状態がますます耐えがたいものになる場合には、共産党は、大衆を闘争に導き彼らの利益を守るためにあらゆることをする義務を負っている。西ヨーロッパとアメリカでは、労働者大衆が労働組合や政党に組織されており、さしあたって自然発生的運動が稀にしか期待できないので、共産党は、労働組合におけるその影響力を全面的に行使し、他の労働者政党への圧力を増大させることによって、プロレタリアートの直接的な利益のための共同闘争をかき立てなければならない。非共産主義政党がこの闘争に引き込まれた場合には、共産党の課題は、この非共産主義政党が裏切る可能性にそなえて最初から労働者階級を準備させておくこと、そして、後にこの党と独立して闘争を指導することができるよう状況をできるだけ前進させておくことである(ドイツ統一共産党の公開状を参照せよ。これは行動の出発点として役に立つ)」 [『コミンテルン資料集』第1巻、433〜434頁]。

 イタリア共産党中央委員会は、第36項において意識的にこのテーゼに対立して、労働組合の統一戦線を擁護しながら、共産党の代表者と社会民主党の代表者とがいっしょに入るような、闘争と宣伝の指導委員会を形成することには反対している。イタリア共産党のテーゼが提出している議論に全面的に対立する議論が第3回大会のテーゼの中に見いだせる。「部分的要求とそのための闘争」と題された章の中で、次のように言われている。

「自分たちの部分的な要求のために闘う労働者は、必然的に、ブルジョアジー全体とその国家機構に対する闘争をすることを余儀なくされる。部分的要求のための闘争、個々の労働者集団の部分的闘争が、資本主義に対する労働者階級の全般的闘争へと拡大していくにつれて、共産党もまたそのスローガンをエスカレートさせ、より一般的なものにすることができ、ついには敵の打倒を呼びかけるスローガンにまでいたるだろう」 [『コミンテルン資料集』第1巻、431頁)]。

 イタリア共産党中央委員会がこの問題を注意深く熟考していたなら、統一戦線を労働組合に制限しようとする望みがサンディカリストの立場以外の何ものでもないことを理解しただろう。なぜなら、プロレタリア階級のより重要な問題が労働組合の闘争を通じて解決可能であると認めている場合のみ、政党を除外することができるからである。だが、そうでないとしたら、そして、より大規模な経済闘争はすべて政治闘争に転化するとしたら、共産党には、他の労働者政党とともにプロレタリアートの利益のための闘争を遂行する義務があるし、共同戦線の結成をそれらの諸党に迫らなければならない。こうしてはじめて共産党は、これらの諸党が闘争を恐れて統一戦線に参加するのを拒否した場合に、これらの諸党を暴露する可能性を得るのである。

 この問題はすでに、拡大執行委員会の決定によって解決ずみである。もしイタリア共産党が国際的指導に従うつもりならば――そうであるとわれわれは確信しているが――、実践において決定的なこの問題に関する諸君の立場を変更し、イタリアにおける統一戦線のための闘争をどのように遂行することができるかについて、執行委員会と合意に達しなければならない。

 

 (5)労働者政府のスローガン

 現在、イタリアにおける統一戦線の結成はかつてなく重要である。ブルジョア諸政党は安定した体制を組織する上での無能力をますます暴露している。政府は危機を克服することに成功していない。社会党には、ブルジョアジーと手を切って政府と闘争する勇気もなければ、政府に公然と入る勇気もない。このような情勢において、共産党は、ソヴィエト政府のスローガンを投げつけるだけで満足することはできない。また、イタリア社会党にはソヴィエト権力をめざして闘う気がないということを大衆に向けて暴露するだけで満足することもできない。共産党は大衆に次のように語るという課題を有している。諸君はプロレタリアート独裁のための闘争を恐れている。諸君は民主主義の舞台にとどまることを望んでいる。よろしい。この舞台は、労働者階級の最もささやかな要求を満たすのにさえ十分ではない。諸君は、プロレタリア独裁を樹立するのに必要な闘争を遂行することを余儀なくされるだろう。だが、イタリアを支配している混乱と完全なカオスを見たまえ。諸君らはそれに最も苦しめられているではないか。諸君が民主主義的闘争手段から離れるのを望んでいないとしても、せめてこの無政府状態から脱出するためにこの手段を利用するべきではないのか?

 われわれはイタリア共産党に対して、労働者政府樹立という目的に向けて議会の解散のために闘うよう訴えている。

 労働者政府を実現するための最小限綱領を定めることによって、共産党は、社会民主主義政党とのブロックを形成する用意があること、そしてこのブロックが労働者階級の利益を擁護するかぎりにおいて、それを支える用意があることを宣言しなければならない。もしイタリア社会党がそれに同意して闘争に着手するならば、この党は議会の舞台から別の領域へと移ることになる。以上が、労働者政府は議会内連合以外の何ものも意味しないという反対論に対する答えである。

 イタリア社会党がわれわれの提案を拒否したならば、大衆は、われわれこそが彼らに具体的な道を指し示していること、それに対し社会党はなすすべを知らないこと、このことを確信することだろう。このような戦術は共産主義者とセルラーティ派との間にある違いを曖昧にしてしまうのではないかという左派の同志たちの懸念は、まったく滑稽なものである。

 それとも、イタリア社会党が一歩ごとにプロレタリアートの利益を――将来の利益だけでなく、現在の利益をも――裏切っているというのは正しくないのか。とすれば、そのようなことを主張したり、労働者に信じさせたりするのは、馬鹿げたことである。なぜなら、共産党はその存在をウソの宣伝にもとづかせることなどできないからである。われわれだけがイタリア・プロレタリアートの死活の利益を守ることができるというのが本当であるとすれば、統一戦線を構築しようとするいかなる試みも、その成否にかかわらず、社会党を暴露し共産党を強化するのに役立つだろう。

 われわれは、イタリア共産党が拡大執行委員会の見解に外面的にのみ従うのではなく、この会議に行なわれた討論によってこの問題が解明され、イタリア党がコミンテルン執行委員会の立場を実際にわがものとすることを望んでいる。

 イタリア共産党中央委員会のテーゼに見いだせる誤った主張や定式化のすべてを詳細にここで検討することはやめておこう。なぜなら、このテーゼがその基本的方向性の点で誤っていることを証明するのに、すでに述べたことで十分だからである。

 イタリアのテーゼの第49項は次のように述べている。

「(49)それゆえ、初期のころにはつきもののゴタゴタから解放された党は、大衆と党自身との結合組織を構築し、それを拡大することによって、大衆の間にますます浸透していく活動に全力をそそがなければならない」。

 イタリア共産党のこのような意見に同調できたなら、コミンテルン執行委員会はさぞ幸せだったろう。だが、不幸にしてそうではない。イタリア共産党指導部のテーゼは、若い不毛な急進主義の病である左翼小児病をいまだ克服していないことを示している。この急進主義は、生きた実生活と接触することへの恐怖の表れであり、自分自身の力に対する信頼の欠如、そして労働者階級が、たとえ過渡的目的のためだけであっても、闘争に参加したときに発揮するであろう革命的傾向に対する信頼の欠如を表現している。

 執行委員会は、イタリア共産党中央委員会がこの弱点を理解し、それを克服するために可能なあらゆることをするだろうと信じている。この仕事の手始めとして、イタリア共産党のテーゼが変更されなければならない。イタリア共産党のテーゼのせいで、コミンテルン執行委員会はイタリア共産党中央委員会の立場と公然かつ最も先鋭な形で論争することを余儀なくされた。われわれは、イタリア党が独自のテーゼを作成することを放棄して、第3回大会と拡大執行委員会のテーゼを受け入れることを望むものである。

共産主義インターナショナル執行委員会幹部会

1922年3月半ば

『トロツキーのイタリア論集』所収

『トロツキー研究』第27号より


  


  

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