国際情勢の鍵はドイツにある

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この論文は、1930年9月のドイツ国会選挙におけるナチス党の躍進以降に書かれた一連のファシズム批判論文の一つである。この時期のドイツ国内の情勢については、「民族共産主義反対!――『赤色』人民投票の教訓」の解説を参照にしていただきたい。

 この論文の中でトロツキーは、多くの予言を試みているが、その多くはきわめて正確な形で実現したことを、歴史は物語っている。たとえば、トロツキーは次のように述べている。

「国家社会主義者」が権力の座に就くということは、何よりもまず、ドイツ・プロレタリアートの精鋭の完全な絶滅、その組織の破壊、そして、自分自身と自らの将来に対するプロレタリアートのあらゆる信頼の瓦解をもたらすだろう。今日におけるドイツの社会的諸矛盾が[かつてのイタリアと比べて]はるかに成熟し先鋭化していることをふまえるなら、イタリア・ファシズムの悪業も、ドイツ国家社会主義がやりかねないことに比べれば、生彩のない、ほとんど人道的な実験にさえ見えるであろう。

 まさにナチスによるユダヤ人大虐殺と比べるなら、イタリア・ファシズムの蛮行は「ほとんど人道的な実験にさえ見える」。トロツキーの政治的洞察は恐ろしいまでに正確である。また、トロツキーは、ナチスの勝利は必然的にソ連との戦争を意味するだろうと予言している。これもまた数年後に現実のものとなった。そのさい、その政治的順番は、ここでトロツキーが述べているものとは若干違っていた。トロツキーは、ナチス・ドイツがフランスと衝突するよりも先にソ連と衝突するだろうと考えていた。この時点では、この程度の齟齬は必然的である。なぜなら、トロツキーは、ソ連がナチスと不可侵条約を結ぶほどに堕落しきっているとは、この時点では考えていなかったからである。

Л.Троцкий, Ключ к международному порожению−в Германии, Бюллетень Оппозиции, No.25-26, Ноябрь-Декабрь 1931.

Translated by the Trotsky Institute of Japan


 本論文の目的は、衰退期資本主義の基本的諸矛盾の結果として、現時点における世界の政治情勢がどのようになっているかを、たとえきわめて一般的な形であれ、明らかにすることにある。これらの矛盾は、恐るべき商工業上・金融上の危機によって複雑化し先鋭化している。以下に大雑把に展開される考察は、すべての国やすべての問題を包含するというにはほど遠いものであり、後で本格的な集団的検討に付されなければならない。

 

 1、スペイン革命――スペイン革命は、権力獲得に向けたプロレタリアートの直接的闘争のための一般的な政治的前提条件をつくり出した。スペイン・プロレタリアートのサンディカリスト的伝統は、たちまち革命の発展の途上における主要な障害の一つとして現われた。コミンテルンは、事件によって不意を打たれた。革命当初まったく無力であった共産党は、ほとんどすべての基本問題において誤った政策をとった。改めて指摘しておくが、スペインの経験は、コミンテルンの現在の指導部が、先進的労働者の革命意識を解体するうえでいかに恐すべき道具であるかを示した! プロレタリア前衛が事態の発展にはなはだしく立ち遅れたこと、労働者大衆の英雄的闘争が政治的に分散した性格を持っていたこと、アナルコ・サンディカリズムと社会民主主義とが事実上相互に保険をかけ合っていたこと――こうしたことのおかげで、社会民主主義と同盟した共和派ブルジョアジーは、弾圧機構を再建し、蜂起した大衆に次々と打撃を加え、政府の手中に大きな政治的権力を集中させることができたのである。

 この例に見られるように、ファシズムは、革命的大衆と闘う上でブルジョアジーの用いうる唯一の手段ではけっしてない。現在スペインに存在している体制は、ケレンスキー体制の概念、すなわち、革命に対する闘争においてブルジョアジーが許容しうる最後の(あるいは「最後から2番目の」)「左翼」政府に最もよく照応している。しかし、このような政府が必ずしも衰弱状態にあるわけではない。プロレタリアートの強力な革命政党が存在しない場合には、中途半端な改革、左翼的空文句、極左的ジャスチャー、そして弾圧を組み合わせた方が、ブルジョアジーにとってファシズムよりも有効なのである。

 スペイン革命がまだ終わっていないことは言うまでもない。スペイン革命は、その最も基本的な諸問題(農業問題、宗教問題、民族問題)を解決しなかったし、人民大衆の革命的源泉をまったく枯渇させていない。ブルジョア革命は、すでにそれが与えたもの以上のものを与えることはできないであろう。プロレタリア革命に関していえば、現在のスペインの国内情勢は、前革命的と呼ぶことができる、いや、それ以外の何ものでもない。スペイン革命の攻勢的発展が多少なりとも長期にわたるということは、大いにありうることである。こうした歴史的過程が、ある意味で、スペイン共産党に新しい信頼の可能性を開くのである。

 

 2、イギリスの情勢――前革命的情勢と直接的に革命的な情勢とのあいだには、部分的な上昇と下降をともなう数年間にわたる時期がありうるということを、厳密に規定するならば、イギリスの情勢もまた前革命的と呼ぶ一定の根拠がある。イギリスの経済情勢は極度に先鋭なものになっている。しかし、この極端に保守的な国の政治的上部構造は、その経済的土台に起きた変化に途方もなく立ち遅れている。イギリス国民のすべての階級は、新しい政治的形態と方法を採用するよりも、何度も何度も、古い倉庫の中を探し回ったり、祖父母の古着を裏返しにしたり、等々を試みている。恐るべき国家的衰退にもかかわらず、イギリスにはいまだに、いかなる大きな革命的政党も、その反対物たるファシスト政党も存在していないのは事実である。そのおかげで、ブルジョアジーは、「民族的」旗のもとに、すなわち、あらゆる可能なスローガンの中で最も空虚な旗のもとに、人民の大多数を動員することができたのである。前革命的状況の中で、とてつもなく愚鈍な保守主義は巨大な政治的優位性を獲得した。政治的上部構造がイギリスにおけるの真の経済的・国際的状況に適合するには、間違いなく1ヵ月以上、いやおそらく1年以上かかるであろう。

 「国民」連合の崩壊――この崩壊は、比較的近い将来に必ず起こるだろう――が、ただちにプロレタリア革命(言うまでもなく、イギリスでは他の革命は起こりえない)をもたらすとか、「ファシズム」の勝利をもたらすなどと考えるいかなる理由もない。反対に、はるかに可能性が高いのは、イギリスが、革命的決着に向かって進みながらも、なお、ロイド=ジョージ(1)や労働党の急進的・民主主義的・社会主義的・平和主義的デマゴギーの長期にわたる期間を経ることである。したがって、イギリスの歴史的発展においては、決着が間近に迫りくる時にイギリス共産党が真のプロレタリア党になるには、なおかなり長い期間を要することは、疑いえない。しかし、だからといって、今後とも致命的な実験や中間主義的ジグザグに時を失い続けていてもいいということにはならない。現在の世界情勢においては、時間は最も貴重な資源である。

 

 3、フランス――コミンテルンの賢者たちが1年半か2年前に「革命的高揚の最前線」に位置づけていたフランスは、実際は、ヨーロッパのみならず、おそらくは世界で最も保守的な国である。フランスの資本主義体制の相対的安定は、かなりの程度、フランスの後進性に起因している。フランスにおける恐慌は、他の国よりも弱いように見える。金融の分野では、パリは、ニューヨークに肩を並べようとさえしている。現在におけるフランス・ブルジョアジーの金融的「繁栄」の直接の源泉は、ベルサイユ条約による掠奪である。しかし、まさにこのベルサイユ講和が、フランス共和体制全体にとっての主要な脅威を内包している。一方におけるフランスの人口、生産力、国民所得と、他方における現在のフランスの国際的地位とのあいだには、はなはだしい矛盾がある。この矛盾は、不可避的に爆発へと導かれるだろう。急進社会主義的であるだけでなく「国民」的でもあるフランス(2)は、自らの束の間のヘゲモニーを維持するために、世界中で最も反動的な勢力、最も古くさい搾取形態に、すなわちルーマニアの下劣な支配徒党(3)、ピウスツキ(4)の腐敗した体制、ユーゴスラビアの軍事独裁(5)に依拠し、ドイツ民族の分裂(ドイツとオーストリア)を維持し、東プロイセンにおけるポーランド回廊(6)を守り、日本の満州侵略を助け、日本の軍事徒党をソ連に敵対させ、植民地諸国の解放運動の主要な敵として振舞う、等々、等々をせざるをえなかった。世界経済におけるフランスの2次的役割と、世界政治における同国のすさまじい特権と野望、この両者のあいだにある矛盾は、月をおうごとにますますはっきりと露呈し、次から次へと危険を積み重ねていき、国内の安定を動揺させ、人民大衆の不安と不満を引き起こし、ますます深刻な政治的変動を引き起こすだろう。こうした過程は、疑いもなく、次の議会選挙のさいにすでに現われてくるだろう。

 しかし、他方で、あらゆることからして次のように想定せざるをえない。すなわち、もしフランスの外で、大きな事件(たとえば、ドイツにおける革命の勝利、あるいは、反対にファシズムの勝利)が起こらなかったとしたら、フランス国内での力関係の発展は、当面は、相対的に「整然とした」形で進展するであろう。その場合、共産主義の前には、前革命的および革命的情勢が到来するまでに、かなりの準備期間を自らの強化のために利用する可能性が開かれるだろう。

 

 4、アメリカ合衆国――最強の資本主義国であるアメリカ合衆国では、現在の恐慌が、驚くほどの力強さで恐るべき社会的諸矛盾を暴露した。何百、何千万もの花火でもって全世界を驚嘆させた未曾有の繁栄期から、アメリカ合衆国は突然、数百万の失業者と、勤労者の恐るべき生物学的貧困の時期に突入した。このような巨大な社会的激変は、国の政治的発展に痕跡を残さずにはおかない。アメリカ労働者大衆の急進化がどの程度の規模のものになるかを予見することは――少なくとも遠くからでは――今のところまだ困難である。大衆自身も、景気の破局的転換によって完全に不意をつかれ、失業ないしその恐怖によってまったく打ちのめされ呆然としてしまって、自分たちの身に振りかかっている災厄から、最も初歩的な政治的結論を引き出すことがまだできないでいる、と予想することができる。結論を引き出すためには一定の時間が必要なのだ。しかし、結論は引き出されるだろう。壮大な経済恐慌は社会的危機という性格を帯び、必然的に、アメリカ労働者階級の政治的意識における危機に転化するであろう。広範な労働者層の革命的急進化が、景気のどん底局面においてではなく、反対に景気が回復と好況に転換する時期に起こるということは、大いにありうることである。いずれにしても、現在の恐慌は、アメリカのプロレタリアートおよび総じてアメリカ人民の生活に、新時代を開くであろう。2大政党[民主党と共和党]の内部における本格的な再編や衝突、第3政党結成のための新たな試みなどが生じるだろう。景気の上昇転換の最初の徴候が見られるやいなや、労働組合運動は、アメリカ労働総同盟(AFL)の下劣な官僚どもの万力から脱出する必要性を痛感するであろう。それとともに、共産主義の前に無限の可能性が開かれるであろう。

 過去アメリカでは、革命的ないし半革命的大衆運動の激しい爆発が一度ならず起こっている。そのたびに、これらの運動は急速に消滅してしまったが、それは、アメリカがそのたびに新しい経済的上昇期に入ったためであり、また、これらの運動そのものが俗流経験主義と理論的混乱を特徴としていたからである。これら2つの条件は今や過去のものとなっている。新しい経済的上昇が起こるとしても(この可能性をあらかじめ排除して考えてはならない)、それは、国内の「均衡」にではなく、現在の世界的な経済的カオスにもとづかざるをえない。アメリカ資本主義は、巨大に膨れ上がった帝国主義、絶えざる軍備増強、全世界の諸事件への介入、軍事的衝突と激動の時代に入った。他方、アメリカ・プロレタリアートの急進化しつつある大衆は、共産主義を通じて、もはやかつての経験主義と神秘主義といんちきの混合物ではなく、現実の要請に適合した科学的教義を手に入れるだろう――いやより正確には、正しい政策が存在する場合に、手に入れることができるだろう。こうした根本的な変化は、確信をもって次のことを予想することを可能にしている。すなわち、アメリカ・プロレタリアートの内部で比較的近い将来に必然的に起こる革命的転換は、簡単に消すことのできる「ぼや」ではなく、真の革命的大火の始まりとなるであろう。アメリカにおける共産主義は、確信をもって、自らの偉大な未来へ向かって進んでいくことができるのである。

 

 5、日本――ツァーリによる満州での冒険は日露戦争を引き起こした。そしてこの戦争は、1905年の革命をもたらした。現在、日本による満州での冒険は、日本に革命を引き起こしうる。

 日本の封建的・軍事的体制は、今世紀の始めにはまだ、日本の若い資本主義の利益に奉仕することができた。しかし、この4分の1世紀のあいだに、資本主義の発展が、日本の古い社会的・政治的形態にいちじるしい分解作用をもたらした。これ以降、日本はすでに何度となく革命へ向かって進んだ。しかし、資本主義の発展によって提起された課題を実行する強力な革命的階級が、日本には欠けていた。満州での冒険は、日本の体制の革命的破局をさらに促進させるだろう。

 現在の中国は、国民党の徒党の独裁によっていかに弱められていようとも、日本が過去ヨーロッパ列強のひそみにならって蹂躙した中国とは、いちじるしく異なっている。現在の中国には、日本の派遣軍をいっきにたたき出す力はまだないが、しかし、中国人民の民族意識と活動力は途方もなく成長を遂げ、数十万、数百万の中国人が軍事的訓練を積んだ。中国人民は、即興的に次々と軍隊を作り出していくであろう。日本は、包囲されていると感じるだろう。鉄道は、経済的目的よりも、はるかに軍事的目的に役立つ。日本はますます多くの部隊を送らざるをえなくなるだろう。満州における戦争の拡大は、日本の経済機構を疲弊させはじめ、国内の不満を増進し、矛盾をますます先鋭化させ、こうして革命的危機を促進するだろう。

 

 6、中国――帝国主義的侵略に対して断固たる防衛を行なう必要性は、中国国内にも深刻な政治的結果をもたらすにちがいない。国民党の体制は、ブルジョア軍国主義者によって(スターリニスト官僚の協力のもと)利用され圧殺された大衆の革命的民族運動から生成してきた。まさにそれゆえ、予盾に満ちて動揺している現体制は、革命戦争のイニシアチブを取ることができない。日本の侵略に対する防衛の必要性は、大衆の革命的気分を醸成し、ますますもって国民党体制に不利に働くだろう。このような状況のもとでは、プロレタリア前衛は、正しい政策にもとづくなら、1924〜1927年にかくも悲劇的に失なったものを取り返すことができるだろう。

 

 7、満州における現在の事態は、東支鉄道(7)を単に中国に返還することをソヴィエト政府に要求していた紳士諸君がいかに無邪気であったかを、この上なくよく示している。そんなことをしていたら、この鉄道はみすみす日本の手に渡り、その手中で、中国のみならずソ連邦に敵対する重要な武器となったにちがいない。日本の軍事徒党に今まで満州侵略を差し控えさせ、また現在も彼らに慎重さを余儀なくさせうるものが何かあるとすれば、それは、東支鉄道がソヴィエトの所有物としてとどまっているという事実なのである。

 

 8、しかしながら、日本による満州での冒険は、ソ連との戦争へと日本を駆り立てることになるのではないか? 言うまでもなく、ソヴィエト政府の政策がいかに賢明で慎重なものであったとしても、このような可能性を排除することはできない。封建的・資本主義的日本の内部矛盾は明らかに、その政府から理性を奪い去った。煽動者にもこと欠かない(フランス!)。そして、われわれは、極東におけるツァーリズムの歴史的経験から、理性を失なった軍事的官僚的君主制がどんなことをしでかすかを知っている。

 極東で展開されている闘争は、言うまでもなく、一つの鉄道をめぐって遂行されているのではなく、中国全体の運命をめぐって遂行されている。この偉大な歴史的闘争において、ソヴィエト政府は中立的立場をとることはできないし、日本と中国に対して同じ態度をとることもできない。ソヴィエトは全面的に中国人民の側を支持する義務を負っている。被抑圧人民の解放闘争に対するソヴィエト政府の揺るがぬ支持だけが、ソヴィエト政府の東方を、日本、イギリス、フランス、アメリカ合衆国から防衛することができるのである。

 ソヴィエト政府が、当面する時期、いかなる形で中国人民の闘争を援助するのか、これは具体的な歴史的状況しだいである。しかし、東支鉄道をみすみす日本の手に渡してしまうことが愚かなことだとしたら、極東における政策全体をこの東支鉄道の問題に従属させるのは、それと同じくらい愚かなことである。多くのことが示しているように、この問題における日本の軍事徒党の行動は、意識的に挑発的性格を帯びている。この挑発の直接の煽動者はフランスの支配層である。挑発の目的は、ソ連を極東に縛りつけることである。それゆえなおさら、ソヴィエト政府には自制と先見の明が必要とされる。

 東方の基本的条件――広大な空間、膨大な人口、経済的後進性――は、過程全体に緩慢でのろのろとした長引く性格を与える。いずれにしても、ソヴィエト連邦の存立を脅かすような直接的ないし先鋭な危険性は、極東方面にはない。当面する時期の主要な事件は、ヨーロッパで発展するだろう。このヨーロッパでは、偉大な可能性が見出されるだろうが、しかし、重大な危険もそこから生じるだろう。今のところ極東方面に手を縛られているのは、日本だけである。ソヴィエト連邦は現在、その手を自由にしておかなければならない。

 

 9、ドイツ――平和的というにはほど遠い世界の政治舞台の中で、ひときわ鋭く浮かび上がっているのがドイツの情勢である。この国では、政治的・経済的諸矛盾が、前代未聞の鋭さを帯びている。大詰めは目の前まで迫っている。前革命的情勢が、革命的情勢ないし反革命的情勢に転化する瞬間が近づきつつある。ドイツの危機の結末がどのような方向でつくのか、このことに、今後何年にも何年にもわたってドイツ自身の運命のみならず(それ自体すでに重大なものだが)、ヨーロッパの運命が、そして全世界の運命がかかっている。

 ソ連の社会主義的建設、スペイン革命の歩み、イギリスの前革命的情勢の発展、フランス帝国主義の今後の運命、中国とインドの革命運動の運命――これらいっさいが、これからの数ヵ月間にドイツで誰が勝利するのか、共産主義かファシズムか、という問題に直接的につながっているのである。

 

 10、昨年9月に行なわれたドイツの国会選挙(8)のあと、ドイツ共産党の指導部は、ファシズムがすでにその絶頂に達し、これからは、プロレタリア革命への道を掃き清めながら急速に解体してゆくであろう、と主張した。共産党の左翼反対派(ボリシェヴィキ=レーニン主義者)は当時、この軽卒な楽観主義を嘲笑した。ファシズムは、一方における社会的危機の先鋭さと、他方におけるドイツ・プロレタリアートの革命的力の弱さ、という2つの条件の産物である。プロレタリアートの弱さは、それはそれで、次の2つの要素から生じている。第1に、社会民主主義の特殊な歴史的機能であり、今日でもなお社会民主主義はプロレタリアの隊列にあって資本主義の強力な手先となっている。第2に、労働者を革命の旗のもとに結集させるうえでの、共産党の中間主義的指導部の無能力、である。

 われわれにとっての主体的要因は共産党である。なぜなら、社会民主党は、取り除かなければならない客観的障害物だからである。共産党が、労働者階級を一致団結させ、それによって労働者階級をすべての被抑圧人民大衆にとっての強力な革命的磁石にすることができるならば、ファシズムは確かにばらばらに分解してしまうであろう。しかし、9月の選挙以来、共産党の政策はますますその無定見さを深刻にする一方である。「社会ファシズム」に関する大げさな空文句、排外主義とのいちゃつき、ファシズムとの市場競争を目的とした真正ファシズムの模倣、そして、「赤色人民投票」の犯罪的冒険――以上のすべてが、共産党がプロレタリアートと人民の指導者となることを妨げている。共産党は、この数ヵ月間というもの、巨大な危機がほとんど強制的に共産党の隊列へ押しやった分子しか自らの旗のもとに結集していない。社会民主党は、それにとって致命的な政治情勢にもかかわらず、共産党の手助けのおかげで、大部分の支持勢力を保持しており、今のところ、かなりのものとはいえやはり2次的にすぎない損失ですんでいる。ファシズムの方はと言えば、テールマン(9)、レンメレ(10)、その他の連中の最近の大言壮語に反して、そしてボリシェヴィキ=レーニン主義者の予測には完全に合致して、昨年9月以来、新しい巨大な躍進を遂げた。コミンテルンの指導部は、先を予見することも、警告を発することもまったくできなかった。彼らはただ敗北を次々と記録するのみである。コミンテルンの決議やその他の文書は――悲しいかな!――歴史的過程の裏側の写真でしかない。

 

 11、決断を下すべき時が近づいている。ところが、コミンテルンは、現在における世界情勢の真実の姿を理解しようとはしない、いやより正確に言えば、そうすることを恐れている。コミンテルン幹部会は、無内容な煽動文書によってお茶をにごしている。コミンテルンの指導党であるロシア共産党は、いかなる立場もとっていない。「世界プロレタリアートの指導者たち」は、まったく口がきけない。彼らは沈黙を守ろうと思っている。彼らは事態から退避して身を守ろうとしている。彼らは嵐が過ぎ去るのを待つつもりである。彼らは、レーニンの政策の代わりに…ダチョウの政策[臆病な待機主義の政策]を遂行している。歴史の決定的瞬間の一つが目の前に近づきつつある。そのときコミンテルンは、今まで犯してきた一連の誤り――それらは、創立以来最初の5年間に蓄積された力を掘りくずし損害を与えた重大な誤りであったが、それでも「部分的」誤りであった――のあとに、まるまる歴史的一時代にわたってコミンテルンを政治地図の上から吹き飛ばしてしまいかねない根本的で致命的な誤りを犯すかもしれない。

 目を閉じている者や臆病者はそれを無視するがよい。中傷家や雇われジャーナリストは、われわれを反革命の同盟者と非難するがいい。何といっても、この「反革命」なるものは、周知のように、世界帝国主義を強化するものではまったくなく、共産党官僚の安逸を妨げるものだからである。中傷は、ボリシェヴィキ=レーニン主義者をおびえさせることはできないし、彼らが自らの革命的責務を果たすのを防ぐこともできない。何ごとであれ黙殺したり、事実を和らげたりしてはならない。先進的労働者にはっきりと大声で語らなければらない。冒険主義と大言壮語の「第三期」の後に、今やパニックと降伏の「第四期」が到来している、と。

 

 12、ソヴィエト共産党の現指導者たちの沈黙を、言葉にはっきりと出すならば、「われわれを放っておいてくれ!」ということになる。ソ連国内の困難は途方もない規模に達している。制御しようのない経済的・社会的諸予盾は、ますます先鋭化しつつある。ポピュリスト体制の必然的産物である機構の退廃は、まさに脅威的な水準に達している。政治的諸関係、何よりも、党内部の諸関係および、退廃した機構と細分化された大衆との関係は、張りつめた弦のように緊張している。官僚のすべての知恵は、待機し、決断を先延ばしすることにある。ドイツの情勢は明らかに大激動を予示している。ところが、スターリンの機構が何よりも怖れているのは、まさにこの激動なのである。「われわれを放っておいてくれ! われわれが、まず国内で最も先鋭な矛盾から抜け出すのを待っていてくれ。それから……様子を見よう」。これがスターリン派指導部の気分である。これこそまさに、はっきりと明確に言葉を発することが革命家としての最も初歩的な義務である時に、「指導者」の恥ずべき沈黙の背後に隠されているものなのだ。

 

 13、モスクワ指導部の背信的な沈黙が、ベルリンの指導者たちにパニックをもたらしたことは、何ら驚くにあたらない。決定的闘争に大衆を導いてゆくための準備をしなければならない現在、ドイツ共産党の指導部は、途方に暮れ、のらりくらりと言い逃れをし、美辞麗句でお茶をにごしている。この連中は、自らの責任において行動することに慣れていない。彼らは、「マルクス=レーニン主義」が闘争の回避を要求しているということを何とかして証明できないものか、としきりに夢想している。

 この点に関してはまだ完成された理論はできていないようである。しかし、すでに、このような理論の徴候は見られる。それは、口から口に伝えられ、新聞記事や演説のはしばしに現われている。この理論はおおむね次のようなものである。ファシズムは抑えがたい勢いで成長しつつある。ファシズムの勝利はいずれにせよ必然的である。「盲目的に」闘争に飛びこんで敗北を喫する代わりに、慎重に退却して、ファシズムに権力を握らせ、彼らが大失敗をやらかすのを待ったほうがいいだろう。その時には――その時には!――われわれは、自分たちの力を示してやるのだ、と。

 冒険主義と軽率さは、政治的心理学の法則にのっとって、虚脱と降伏に取って代わった。1年前には考えられないとみなされていたファシストの勝利が、現在すでに確実なものとみなされている。舞台裏でラデック(11)のような連中に知恵を授けられたクーシネン(12)的連中が、スターリンのために、次のような天才的な戦略的定式を準備している。時機を失せず退却し、革命的部隊を戦場から撤退させ、ファシストに罠を……国家権力の罠をしかけるのだ。

 この理論がドイツ共産党によって採用され、同党の政治路線を今後何ヵ月にもわたって決定づけるとしたら、それは、1914年8月4日における社会民主党の裏切りに優るとも劣らぬ歴史的重大性をもった裏切りがコミンテルンによって犯されることを意味するだろう。しかも、今回、この裏切りの結果ははるかに恐ろしいものとなろう。

 左翼反対派の義務は、次のような警鐘を乱打することにある。コミンテルン指導部は、ドイツ・プロレタリアートを途方もない破局へと導くだろう、その破局の本質はファシズムに対するパニック的降伏にある、と。

 

 14、「国家社会主義者」の権力掌握は、何よりも、ドイツ・プロレタリアートの精鋭の完全な絶滅、その組織の破壊、そして、自分自身と自らの将来に対するプロレタリアートのあらゆる信頼の瓦解をもたらすだろう。今日におけるドイツの社会的諸矛盾が[かつてのイタリアと比べて]はるかに成熟し先鋭化していることをふまえるなら、イタリア・ファシズムの悪業も、ドイツ国家社会主義がやりかねないことに比べれば、生彩のない、ほとんど人道的な実験にさえ見えるであろう。

 退却だと? 昨日まで「第三期」の予言者だった諸君がそう言うのか? 指導者や種々の機関は退却することができる。個々人も身を隠すことができる。しかし、ファシスト政権の前にした労働者階級にとっては、退却する場所も、身を隠す場所もないであろう。身の毛のよだつ信じがたいことが本当に起こると仮定するならば、すなわち、共産党が本当に闘争を回避し、それによってプロレタリアートを不倶戴天の敵にまるごと引き渡してしまうと仮定するならば、これが意味するのはただ一つだけである。すなわち、激烈な戦闘は、ファシストが権力に達するでなく、そのに、つまり、ファシストにとって現在よりも何十倍も有利な条件のもとで、展開されるということである。だが、自らの指導部に裏切られ、不意を打たれ、方向を見失い、絶望しているプロレタリアートによる、ファシスト体制に対する闘争は、不毛で血塗られた恐るべき痙攣と化してしまうであろう。ドイツ国内における主人になるのは誰かということがまさに決定的問題になっている現在、プロレタリアートが10度蜂起して10度敗北することによる出血や打撃の方が、ファシズムを前にしておめおめ退却することによってドイツ・プロレタリアートが受ける打撃よりもはるかにましである。

 

 15、ファシズムはまだ権力を握ってはいない。権力への道は彼らにとってまだ開かれていないのだ。ファシズムの指導者はまだ思い切った行動をとるのを恐れている。彼らは、賭けられているものが大きいこと、自分の頭を失いかねないということを理解している。このような状況のもとで、出し抜けに課題を単純化してしまうことができるのは、共産党上層部に見られる降伏主義的気分だけである。

 今日なお、ブルジョアジーの中の有力な部分でさえファシズムの冒険を恐れているのは、まさに、彼らが激しい衝撃や長く恐ろしい内戦を望んでいないからである。にもかかわらず、公式共産主義の降伏主義的政策は、ファシズムに権力への道を切り開き、中間的諸階級、小ブルジョアジーのうちまだ動揺している部分、そして、プロレタリアートそのもののかなりの部分までを、まるごとファシズムの方へ押しやってしまうであろう。

 言うまでもなく、ファシズムが勝利したとしても、いずれは、客観的矛盾と主体的無力さのせいで崩壊するだろう。しかし、直接的には、すなわち今後10〜20年間という予想可能な未来においては、ファシズムの勝利は、革命的連続性の切断、コミンテルンの崩壊、世界帝国主義の最も醜悪で最も血塗られた形での勝利を意味するのだ。

 

 16、ドイツにおけるファシズムの勝利は、不可避的にソ連に対する戦争を意味するであろう。

 権力の座についたドイツの国家社会主義者が、フランスないしポーランドに対する戦争から始めるだろうと考えるとしたら、それは実際まったくもって政治的に愚かなことであろう。ファシストによる権力獲得後にドイツ・プロレタリアートに対する内戦が不可避的に起こるであろうから、このことが、ファシズムによる支配の最初の時期全体を通して、ファシズムの外交政策の手足を縛るだろう。ピウスツキがヒトラーを必要としているのと同様、ヒトラーはピウスツキを必要とするであろう。両者とも同じ程度に、フランスの武器になるだろう。フランス・ブルジョアジーは現在、ドイツ・ファシストの権力獲得を、未知の世界に飛びこむようなものだとして恐れているが、ヒトラーが勝利したあかつきには、「国民的」ないし急進社会主義的フランスの反動は、ドイツ・ファシズムにすべての賭け金を賭けるだろう。

 「正常な」議会主義的ブルジョア政府はどれ一つとして、現在、ソ連に対する戦争を開始するという危険を冒すことはできない。このような試みは、国内における膨大な矛盾や困難を考えれば危険にすぎる。しかし、ヒトラーが権力を掌握し、続いて、ドイツ労働者の前衛を壊滅させ、何年にもわたってプロレタリアート全体を分散した士気阻喪状態に置くことができるなら、ファシスト政府は、ソ連との戦争を遂行しうる唯一の政府となるだろう。この場合には、もちろん、ファシスト政府は、ポーランドやルーマニアをはじめとする隣接諸国、極東では日本などと共同戦線を組んで行動するであろう。このような大事業では、ヒトラーの政府は、世界資本主義全体の執行機関でしかない。クレマンソー(13)、ミルラン(14)、ロイド=ジョージ、ウィルソン(15)などは、ソヴィエト共和国に対して直接戦争を遂行ことはできなかったが、しかし、デニーキン(16)、コルチャーク(17)、ウランゲリ(18)などの軍隊を3年間にわたって援助することはできた。ヒトラーが勝利すれば、彼は、世界ブルジョアジーにとってのスーパー・ウランゲリとなるだろう。

 このような巨大な決戦の結末がどうなるのかを占うことは無益であり、いずれにせよ不可能である。しかし、完全に明らかなのは次のことである。すなわち、ドイツにおいてファシストが権力に到達した後で、世界ブルジョアジーがソヴィエトとの戦争を開始するとしたら、それは、ソ連にとって、恐るべき孤立を意味するものであり、また最も過酷で最も危険な条件下での、生死を賭けた闘争を意味するであろう。そして、ドイツ・プロレタリアートがファシストによって粉砕されたならば、それだけですでに、少なくとも、ソヴィエト共和国の崩壊が半分達成されたことを意味するであろう。

 

 17、しかし、この問題は、それがヨーロッパの戦場に出される前に、まずドイツで解決されなければならない。まさにそれゆえ、われわれは、世界情勢の鍵はドイツにある、と言っているのだ。この鍵を握っているのは誰か? 今のところはまだ、この鍵は共産党の手に握られている。党はまだこの鍵を落としてはいない。しかし、落としかねない状況にある。指導部は党をその方向に導いている。

 「戦略的退却」という名の降伏を勧める者、このような説教を黙認する者は、誰であれみな裏切り者である。ファシストを前にしての退却を宣伝する者は、プロレタリアートの陣営内における敵の無自覚的な手先であるとみなさなければならない。

 ドイツ共産党の初歩的な革命的義務は、ファシズムが権力に到達するには、何の容赦もない生死を賭けた殲滅的内戦を通じなければならないと宣言することである。何よりもまず共産党労働者がこのことを理解しなければならない。社会民主党労働者、無党派労働者、そしてプロレタリアート全体が、理解しなければならない。世界中のプロレタリアートが理解しなければならない。前もって赤軍がこのことを理解しなければならない。

 

 18、しかし、本当にこの闘争は絶望的なものなのだろうか? 1923年に、ブランドラー(19)は、ファシズムの力をとてつもなく過大評価し、そうすることで降伏を隠蔽した。世界の労働者運動は、今日にいたるも、この戦略のもたらした結果に苦しめられている。1923年におけるドイツ共産党とコミンテルンの歴史的降伏は、その後ファシズムが成長するための土台を据えた。現在、ドイツ・ファシズムは、8年前とは比べものにならないほど大きな政治的力を有している。われわれはこれまで常に、ファシズムの危険を過小評価することに警告を発してきたし、現在もこの危険性を否定するつもりはない。それだからこそ、われわれは、ドイツの革命的労働者に向かって、「諸君の指導者は、一方の極端から他方の極端に陥っている」と言うことができるし、またそう言わなければならないのである。

 今のところ、ファシストの主要な力は数の力である。たしかにファシストは選挙で、大量の票を獲得している。しかし、社会的闘争において事態を決するのは、投票の数ではない。ファシズムの主要な軍勢はあいかわらず、小ブルジョアジーと新しい中間階層である。すなわち、小職人、都市の小商人、役人、事務員、技師、インテリゲンツィア、破産した農民などである。選挙の統計的天秤にかければ、ファシストに投票する1000票と共産党への1000票とは、まったく同じ重さを持っている。しかし、革命闘争の天秤においては、大企業に属する1000人の労働者の力は、1000人の役人と事務員、その妻や姑の力より100倍も重い。ファシズムの大多数は人間のクズからできているのである。

 ロシア革命においてエスエルは多数派政党であった。最初の時期、自覚的なブルジョアでもなければ自覚的な労働者でもない人間がこぞって、エスエルへ投票した。憲法制定議会においてさえ、すなわち、10月革命の後でさえ、エスエルは依然として多数派であった。それゆえに、エスエルは、自分たちが偉大な国民政党であると考えていた。実際には、それは壮大な国民的ゼロだった。

 われわれは、ロシアのエスエルとドイツの国家社会主義党をイコールで結ぶつもりはない。しかし、現在ここで検討されている問題を解明するうえでは、この両者のあいだには、議論の余地なく、非常に重要な相似点がある。エスエルは、人民の漠たる希望の党であった。国家社会主義党は、国民的絶望の党である。希望から絶望にいとも簡単に移行することができるのは、小ブルジョアジーである。しかも、彼らはその際、プロレタリアートの一部をも引き連れていく。国家社会主義党の大多数は、エスエルの場合と同様、人間のクズからなっている。

 

 19、パニック状態に陥った哀れな戦略家たちは、最も重要なこと、すなわち、プロレタリアートの社会的および戦闘上の優位性を忘れてしまっている。プロレタリアートの力はまだ使い果たされていない。プロレタリアートは、闘うことができるだけでなく、勝利することもできる。企業や工場における意気消沈について云々されているが、それはたいていの場合、観察者自身の、すなわち途方に暮れた党官僚の意気消沈の反映なのである。しかし、労働者も、情勢の複雑さと上層部における混乱のせいで、否応なしに道を迷わされていることも考慮に入れなければならない。労働者は、大闘争には堅固な指導部が必要であることを理解している。労働者を不安にさせているのは、ファシストの力でも、激烈な闘いの必要性でもない。労働者を不安にさせているのは、指導部の無力さと不安定さ、最も責任重大な時期に見られる指導部の動揺である。工場に消沈した気分やうつ状態があるとしても、それは、党が堂々とはっきりと自信を持って自らの声を上げるやいなや、跡かたもなく消え去ってしまうであろう。

 

 20、疑いもなく、ファシストには本格的な戦闘的カードルがいるし、経験豊富な突撃隊もある。これらのことを軽々しく扱ってはならない。「将校」は、内戦においてこそ大きな役割を果たすのである。しかし、決定的なのは、将校ではなく、兵士である。そして、プロレタリア軍の兵士は、ヒトラー軍の兵士よりも、はるかに優秀で頼りになり堅固なのだ。

 ファシズムは、権力を握った後には容易に自らの兵士を獲得するだろう。国家機構を用いれば、ブルジョアの子弟、インテリゲンツィア、事務員、士気阻喪した労働者、ルンペンなどから軍隊を建設することができる。その実例はイタリアのファシズムである。もっともここで言っておかなければならないが、イタリアのファシスト民兵に関しては、その戦闘価値を測る本格的な歴史的検証はこれまでまだなされたことがない。しかも今のところドイツ・ファシズムは、まだ権力の座に就いてもいない。権力を獲得するには、プロレタリアートとの闘争を経なければならない。共産党がこの闘争に投入しうるカードルが、ファシズムのカードルよりも劣るなどということがありえようか? そして、強力な生産手段と運輸手段を手中にしているドイツ労働者、その労働条件そのものからして、鉄・石炭・鉄道・電線の軍隊と結びついているドイツ労働者が、決定的闘争において、ヒトラー陣営における人間のクズどもに対して測りしれない優位性を示さないなどということを、一瞬たりとも仮定することができようか?

 さらに、政党ないし階級が、国内に存在している力関係をどのように理解しているかも、政党ないし階級の力を左右する重要な要素である。どの戦争においても、敵は、自分の力を誇張しようと努めるものである。この点に、ナポレオン(20)戦略の秘密の一つがあった。いずれにしても、ヒトラーは、ナポレオンに優るとも劣らず嘘をつく能力を持っている。しかしヒトラーの大言壮語は、共産主義者がヒトラーを信じる場合のみ闘争手段になる。現在、何よりも必要なのは、力関係のリアルな評価である。工場、鉄道、軍隊の領域で国家社会主義者は何を持っているだろうか? 組織され武装された将校はファシストの側にどれぐらいいるのか? 両陣営の構成の明確な社会的分析、力関係の持続的かつ細心の計算――これが、革命的楽観主義の誤ることのない源泉である。

 国家社会主義者の力は現在、彼ら自身の軍勢よりも、不倶戴天の敵の軍勢における分裂に依拠している。しかし、まさにファシズムの危険の現実性、この危険の増大と切迫、また、何としてでもこの危険を防がなければならないという必要性の自覚、これらが労働者を防衛のための結束へと駆り立てている。この過程における中心軸――すなわち共産党――が信頼のおけるものになればなるほど、プロレタリア勢力の集中はそれだけ急速かつ順調に進むだろう。今のところまだ、情勢の鍵は共産党の手中にある。この鍵を落としてしまう党には災いあれ! 

 この数年間というもの、コミンテルンの官僚は、ありとあらゆる理由を挙げて、時にはまったく不適切な理由まで挙げて、ソ連を直接脅かす戦争の危険性について叫んできた。今やこの危険性は、現実的で具体的な様相を帯びて現われている。すべての革命的労働者にとって、次のことが公理とならなければならない。すなわち、ドイツにおいてファシストが権力を奪取しようと試みるなら、そのことによって赤軍の動員が起こらないわけにはいかない、ということである。ここでプロレタリア国家にとって問題になっているのは、言葉の最も直接的な意味における革命的自衛である。ドイツはただのドイツではない。ドイツはヨーロッパの心臓である。ヒトラーはただのヒトラーではない。ヒトラーはスーパー・ウランゲリの候補者である。しかし赤軍もまた、ただの赤軍ではない。赤軍は、世界プロレタリア革命の道具なのである。

 

 追記――本論文の筆者による「民族共産主義に反対する」という論文は、社会民主主義系および民主主義系メディアから若干の曖味な同意をえた。ドイツ共産党の最も下劣な誤りをドイツ・ファシズムがうまく利用しているときに、社会民主主義者がこの誤りに対する公然たる厳しい批判を利用しないとすれば、その方がむしろ奇妙であるばかりでなく、自然の摂理に反することであろう。

 言うまでもないことだが、スターリニスト官僚は、モスクワでも、ベルリンでも、われわれの小冊子を支持する社会民主主義系および民主主義系メディアの記事を、貴重な贈物であるかのごとく飛びついた。彼らはついに、われわれと社会民主党およびブルジョアジーとの統一戦線に関する実際の「証拠」を手に入れたのである。中国革命において蒋介石(21)と手を組み、イギリスのゼネストにおいてパーセル(22)、シトリン(23)、クック(24)と手を組んだ連中が(ここで、問題になっているのは、新聞記事ではなく、大きな歴史的事件である!)、新聞紙上における論争上のエピソードに喜びいさんでしがみつくことを余儀なくされているのである。しかし、われわれは、このレベルでも対決することを恐れてはいない。必要なのはただ、冷静に思考することであって、ぎゃーぎゃー叫ぶことではない。必要なのは、分析することであって、罵ることではない。

 まず最初に一つの質問を出そう。ファシストの人民投票へのドイツ共産党の馬鹿げた犯罪的参加から利益を得たのは、いったい誰か? 事実が、この質問に対して疑う余地のない形で答えを出している。それはファシストであり、ただ彼らだけが利益を得た。まさにそれゆえ、この犯罪的冒険の主たる煽動者[スターリン]は、臆病にもその政策に対する親権を放棄したのである。スターリンは、幹部活動家の前で行なったモスクワでの演説で、人民投票への参加を擁護したにもかかわらず、突然口を閉ざし、新聞がその演説を印刷するのを禁じたばかりか、それに言及することさえ禁止した。

 もちろんのこと、『フォアヴェルツ』、『ベルリナー・ターゲブラット(ベルリン毎日新聞)』(25)、ウィーンの『アルバイター・ツァイトゥング』――とくに最後のもの――は、私の小冊子を、極端な不誠実さをもって引用している。だが、ブルジョア的および小ブルジョア的メディアから、プロレタリア革命の思想に対する誠実さを要求することができようか? しかしながら、われわれは、故意の歪曲は放っておいて、スターリニスト官僚の非難を正面から検討しよう。社会民主党はファシストの勝利を恐れており、この点で同党は労働者の革命的不安を反映している。そのかぎりにおいて、社会民主党には、ファシストに巨大な奉仕をしたスターリニストの政策に対するわれわれの批判を利用する客観的権利がある。われわれはこのことを喜んで認めよう。しかしながら、ここでいう「権利」の基礎は、われわれの小冊子ではなく、諸君の政策である、賢明な戦略家諸君! 諸君は、われわれがウェルス(26)やゼヴェリング(27)と「統一戦線」を組んだとおっしゃるのか? しかしそれは、ただこの領域においてのみであり、諸君がヒトラーおよびその黒百人組的徒党との統一戦線を組んでいるかぎりにおいて、である。さらに違いはまだある。諸君の場合問題になっているのが政治的共同行動であったのに対し、われわれの場合に問題となっているのは、敵の側がわれわれの小冊子の一部を曖味な形で利用したことにすぎない。

 ソクラテスが、「汝自身を知れ」という哲学的原理を提起したとき、ソクラテスの頭の中には、テールマン、ノイマン(28)が、そしてレンメレ自身もが、あったに違いない。

1931年11月26日

『反対派ブレティン』第25/26号

新規

  訳注

(1)ロイド=ジョージ、ディヴィッド(1863-1945)……イギリスのブルジョア政治家。1908〜15年、蔵相。1916〜22年、首相。ソヴィエト・ロシアへの干渉戦争を推進。

(2)これは、急進社会党も入った「国民連合」政府がフランスで成立していたことを皮肉っている。

(3)ルーマニアの下劣な支配徒党……カロル2世(1893-1953)の体制のことを指している。カロル2世は1925年に王位継承権を放棄して亡命していたにもかかわらず、1930年のクーデターで帰国し、ルーマニア国王となり(在位1930-1940)、英仏の支持のもと、反動的統治を行なった。1938年には軍事独裁体制を敷く。

(4)ピウスツキ、ヨゼフ(1867-1935)……ポーランドの国家主義政治家、独裁者。1918〜21年大統領、在任中の1920年、ソヴィエト・ロシアに対する干渉戦争を遂行。リガ条約でソヴィエト・ロシアの一部を割譲。一時、下野するも、1926年にクーデターを起こして首相に。

(5)ユーゴスラビアの軍事独裁……ユーゴスラビア国王のアレクサンダル1世(1888-1934)による独裁政治を指している。アレクサンダル1世は強力な統一ユーゴスラビアの建設につとめ、1929年にユーゴスラビア王になってから、独裁制を敷いたが、1934年に暗殺される。

(6)東プロイセンにおけるポーランド回廊……ポーランド回廊は、ポメラニア東部を通ってバルト海に続いている細長い地域で、1919年のベルサイユ条約によってポーランドに帰属することになった。これによって、同じバルト海に臨む東プロイセン地域(プロイセンの州)はドイツから分断されることになった。東プロイセンは、結局、1945年にソ連とポーランドによって分割された。

(7)東支鉄道……シベリア鉄道本線の一部で、満州とウラジオストクを結ぶ支線。左翼反対派内部には、この鉄道がツァーリの帝国主義的企業であったのだから、労働者国家はこれを中国資本に譲渡すべきだと主張する者がいたが、トロツキーはこうした主張を厳しく批判した。

(8)昨年9月に行なわれたドイツの国会選挙……1930年9月14日に行なわれたドイツ国会選挙のことで、この選挙において、ナチス党は一気に700%もの得票増を勝ち取って、第2党に躍進した。各党の詳しい得票数および得票率については、「コミンテルンの転換とドイツの情勢」の「解説」を参照のこと。

(9)テールマン、エルネスト(1886-1944)……1920年代半ば以降、ドイツ共産党の最高指導者。忠実なスターリニスト。1932年にヒンデンブルク、ヒトラーと対抗して大統領選挙に立候補。1933年にナチスに逮捕され、1944年に強制収容所で銃殺。

(10)レンメレ、ヘルマン(1880-1937)……1926年以降、テールマンとともにドイツ共産党の指導者。1933年にロシアに亡命し、1937年に粛清。

(11)ラデック、カール(1885-1939)……ポーランド、ドイツ、ロシアで活躍した革命家。1904年からポーランド・リトアニア社会民主党、1908年からドイツ社会民主党左派、1917年にボリシェヴィキ。1923年から左翼反対派。流刑地でスターリンに屈服し、スターリンの御用理論家となる。1937年に第2次モスクワ裁判の被告。獄死。

(12)クーシネン、オットー(1881-1964)……フィンランドの共産主義者で、1918年のフィンランド革命の敗北後、モスクワに亡命。その後、コミンテルン内でスターリンの代弁者となる。1922〜31年、コミンテルンの書記。

(13)クレマンソー、ジョルジュ(1841-1929)……フランスのブルジョア政治家、急進党の指導者。1902年に上院議員、1906年に内相。同年に首相に就任したが、急進主義を捨てる。対ドイツ対決政策を推進し、軍備増強。第1次大戦中は、政権の弱腰を批判し、大戦末期に首相になるや、独裁権を行使して戦争遂行に邁進。

(14)ミルラン、アレクサンドル(1859-1943)……フランスの政治家。急進社会党から独立社会党に移行。独立社会党の議員であったときに、ヴァルデク=ルソー内閣に入り、社会主義陣営から厳しく批判され、ミルラン主義という言葉が作られた。1919年に首相。20〜24年に大統領。

(15)ウィルソン、ウッドロー(1856-1924)……アメリカの政治家、第28代大統領(1913-1921)。第1次世界大戦では最初、中立政策を掲げたが、戦争末期の1917年に参戦。18年に「平和のための14ヶ条」を提唱。国際連盟の創設につとめたが、アメリカ自身は上院の反対に会って加入しなかった。

(16)デニーキン、アントン(1872-1947)……帝政ロシアの軍人、白色将軍。コルニーロフの反乱に参加し逮捕されるが、逃亡。1919年に西欧列強の後押しを受けてドン・バクー一帯を占領。1920年、ザカフカスで赤軍に破れ、クリミアに逃れ、ウランゲリ将軍に後を任せてパリに亡命。

(17)コルチャーク、アレクサンドル(1874-1920)……帝政ロシアの提督。白軍指導者。1918年にシベリアでイギリスの支持を受けて反革命政府(オムスク政府)を樹立し、その陸海相に。クーデターで独裁権を握り、「ロシアの最高統治者」を自称。列強の「シベリア出兵」と呼応して、対ソ干渉戦争を主導。1919年の夏季攻勢で赤軍に敗北し、逮捕され銃殺。

(18)ウランゲリ、ピョートル(1878-1928)……帝政ロシアの軍人。内戦中、ロシアの主要な白衛派将軍の一人。 後にデニーキンにとって代わられる。フランスに支援された反革命政府を樹立。南ロシアのクリミアで赤軍に敗北し、ベルギーに亡命。『回顧録』2巻を残す。

(19)ブランドラー、ハインリヒ(1881-1967)……ドイツ共産党の創始者の一人。1921年3月事件から1923年の敗北まで党を指導。1924年に指導部からはずされる。共産党内に右翼反対派、ドイツ共産党反対派(KPO)を結成。1929年に除名。

(20)ナポレオン1世(1769-1821)……フランスの皇帝。コルシカの小貴族出身で、 1793年、フランス革命軍砲兵士官として活躍。次々と戦勝を打ち立てて、国内軍司令官に。1799年、ブリューメル18日のクーデターを敢行し、執政政府を樹立。第1執政に。1804年にフランス皇帝に。フランスの近代化を推し進めるとともに、諸外国への侵略戦争(ナポレオン戦争)を遂行。1812年のモスクワ遠征の失敗以降、没落の過程をたどり、1814年退位。

(21)蒋介石(1887-1975)……中国の軍閥指導者、国民党の右派指導者。日本とソ連に留学。辛亥革命に参加し、孫文の信任を得る。1920年代にコミンテルンは共産主義者の国民党への入党を指示し、国民党を中国革命の指導党として称揚していた。1926年3月、広東クーデターで指導権を握り、北伐開始。コミンテルンはこのクーデターを隠蔽し、蒋介石を擁護。同年5月の国民党中央委員会総会で蒋介石は共産党員の絶対服従と名簿提出を命令し、コミンテルンはそれに従う。1927年4月12日、蒋介石は上海で国民党内の共産主義者の弾圧に乗り出し、多くの共産主義者を殺戮(4・12上海クーデター)。

(22)パーセル、アルバート(1872-1935)……イギリスの労働組合活動家で、イギリス総評議会の指導者。英露委員会の中心的人物。1926年に起こったゼネストを裏切る。

(23)シトリン、ウォルター(1887-1983)……イギリスの労働組合指導者。1926年から46年までイギリスの労働組合会議の総書記。イギリス資本主義に対する貢献によって、1935年に騎士に叙せられ、1946年には准男爵に。

(24)クック、アーサー(1885-1931)……イギリスの労働組合官僚。英露委員会の主要メンバーで、1926年のゼネストを裏切る。

(25)『ベルリナー・ターゲブラット(ベルリン毎日新聞)』……1871年から1939年までベルリンで発行されていた自由主義左派の新聞。

(26)ウェルス、オットー(1873-1939)……ドイツ社会民主党右派。第1次大戦中は排外主義者。ベルリンの軍事責任者としてドイツ革命を弾圧。1933年まで、ドイツ社会民主党国会議員団の指導者。共産党との反ファシズム統一戦線を拒否し、ファシズムに対する妥協政策をとりつづける。

(27)ゼヴェリング、ヴィルヘルム(1875-1952)……ドイツ社会民主党員で、プロイセン政府の警察庁長官。1919〜1926年、1930〜1932年にプロイセン政府の内務大臣。

(28)ノイマン、ハインツ(1902-1938)……ドイツ共産党の指導者で、「第三期」の理論家。1927年にはコミンテルンの中国責任者。1933年に


  

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