民主主義的要求をめぐる

プロメテオ派決議に関する批判的論評
トロツキー/訳 西島栄

【解説】これは、イタリアのボルディガ主義者を中心とした反対派である『プロメテオ』派の、民主主義的要求に関する決議を厳しく批判したものである。これは、極左派であったボルディガ主義者の論理がマルクス主義や弁証法とは無縁なものであり、形而上学的なものであると批判している。とりわけ、トロツキーが「プロレタリア独裁の準備作業の半分か4分の3、いやその99%を民主主義にもとづいて遂行すること、そしてその際、われわれの足元にあるどんなわずかな民主主義的立場をも擁護する」と述べている点が、注目に値する。

Translated by the Trotsky Institute of Japan


 さて、ボルディガ主義者の友人たちについて一言述べたい。まったく機械的なやり方で書かれた彼らの決議から第3項を、全体のテキストと関連づけることなく抜き出すならば、問題は彼らには次のように見えるようである。民主主義というのは搾取者の原理である。革命諸党はこれまでこのことを理解してこなかった。1917年のロシアは民主主義と独裁の間を動揺した。ボルディガ主義者は独裁の真の原理を発見した最初の党派である。今やこの原理が発見されたからには、民主主義的スローガンをいかなる形であれ用いることは、反動的である、云々。言いかえれば、社会発展の弁証法はセクト的グループの発展の形而上学によって置きかえられたのである。

 ボルディガ主義者の思考の特徴は、18世紀の合理論的啓蒙思想の精神に完全に一致している。啓蒙思想家はかつてこう言ったものだ。これまでは誤謬と偏見とが支配していたが、今や真の社会原理が発見された。そして、社会は今後この原理にもとづいて存在しなければならない。今やわれわれ啓蒙思想家がこのことを理解したのだから、残る課題はささいなことである。すなわち社会を再構築することである、と。興味深いのは、啓蒙思想家が発見したのはまさに民主主義の原理であり、彼らはそれを絶対的始原として、これまでの人類の全発展史に対置したことである。それに対し、ボルディガ主義者は何も発見しなかった。彼らはただ、ロシア革命からプロレタリア独裁の原理を借りてきて、それに敵対し、そこから歴史的リアリティを奪い去ったにすぎない。彼らはプロレタリア独裁を、民主主義という絶対的誤謬に対立する絶対的真理とみなした。このことは、彼らが、ロシア革命の理論と実践について絶対に何も理解していないこと、したがってまたマルクス主義全体についても何も理解していないことを示している。

 彼らは、自分たちが民主主義をどのように理解しているのかを説明する労をとろうとしない。どうやら単なる議会主義のことらしい。しかし、たとえばイギリスからのインドの独立のような「ささいなこと」に関してはどうなのか? これは純粋に民主主義的なスローガンである。それは、ある民族からの別の民族の解放に関係している(ボルディガ主義者ならもちろん、階級民族が存在するとただち説明するだろう。われわれ哀れな罪人にとっては夢想だにしないものだ。だが、問題の本質はまさに、半ブルジョア的半封建的な植民地タイプの民族がブルジョア帝国主義タイプの民族から解放されることにあるのである)。その場合に、民族独立の民主主義的スローガンはどうなるのか? わが賢明な批判者はこの問題を見過ごしている。

 共産主義者は、出版・ストライキ・集会の自由に対して向けられた警察の暴力や挑発と闘争するべきなのではないだろうか? そしてそれが民主主義のための闘争でないとしたら、それはいったい何なのか?

 同じインドや、あるいはハンガリーや、その他多くの国々における農業問題についてはどうか? インドのような後進国においては土地に対する農民の渇望が、プロレタリア独裁を支持する方向へと彼らを駆り立てる可能性があることを、われわれは知っている。しかし、この可能性を実現するためには、一連の具体的な歴史的諸条件が必要であり、その中には、農業問題と民主主義問題を正確に理解することも含まれる。インドの農民は、プロレタリア独裁のことを知らないし、農民の半意識的な支持によってそれが実現するまでは知ろうともしないだろう。私は「半意識的」と言ったが、それは、インドの農民が、その政治見解においてはまったく不明確であったとしても、土地を自分のものにすることをきわめて意識的に欲しており、この願望を表現するものこそ、土地は地主ではなく人民に属するべきであるという定式だからである。これは純粋に革命的な綱領というわけではないが、それは、封建制のあらゆる残滓を一掃することを意味する。

 ボルディガ主義者は農民に対してどのように言うつもりだろうか。諸君の綱領は民主主義的であり、したがって反動的である。われわれは諸君に、プロレタリア独裁と社会主義の綱領を与える、とでも言うだろうか。疑いもなく、農民は彼らに激しいインド語でもって答えるだろう。われわれなら農民に何と言うだろうか。諸君の民主主義的土地綱領は社会進歩に向けた大きな歴史的一歩である。われわれ共産主義者はより根本的な歴史的目標を追求している。しかし、われわれは諸君の民主主義的要求を全面的に支持するし、現時点においては、その要求はわれわれ自身の要求でもある。このようにしてのみ、われわれは農民をそれ自身の闘争の中でプロレタリア独裁を支持することへと向けることができるのである。

 おもしろいのは、この点で、スターリニストとジノヴィエフ主義者が永続革命論として私に帰していたのと同じたわごと(民主主義や農民の飛び越し、等々)をボルディガ主義者が独自の発見として蒸し返していることである。

 すでに述べたように、ボルディガ主義者は、民主主義の問題を国民議会や議会一般の問題に還元することによって、裏返しの議会主義的クレンチン病であることを示した。しかし、議会の枠組みに限定しても彼らはまったくまちがっている。彼らの反民主主義的形而上学は必然的に議会のボイコット戦術を含んでいる。同志ボルディガは、コミンテルン第2回大会のときこのような立場をとっていたが、後にこのような立場から離れた(総じて、論争の際は、ボルディガとボルディガ主義者とを厳密に区別するべきだろう。ボルディガが自分自身の見解を述べる機会を奪われているので、われわれは彼の見解を知らない。しかし、ボルディガは、彼の弟子たちのグループがとっている戯画的立場にほとんど責任を負っていないと私は確信する)。議会のボイコットに賛成なのか参加に賛成なのか、率直にボルディガ主義者に尋ねてみるのも悪くないだろう。共産党の議員が、その不逮捕特権を侵害されて逮捕された場合、ボルディガ主義者は、われわれの民主主義的権利にもとづいて、この取り扱いに抗議するよう労働者に訴えかけるのか?

 これらの教条主義者たちは、われわれが、プロレタリア独裁の準備作業の半分か4分の3、いやその99%を民主主義にもとづいて遂行すること、そしてその際、われわれの足元にあるどんなわずかな民主主義的立場をも擁護することを、理解しようとしない。だが、労働者階級の民主主義的権利を擁護することができるとすれば、そのような権利がないときにはその権利のために闘争するべきではないのか?

 [ブルジョア]民主主義は資本主義の道具である、とわが批判者はわれわれに語る。しかり。だが、それは矛盾に満ちた道具である。ちょうど資本主義が全体として矛盾に満ちているのと同じである。民主主義はブルジョアジーに奉仕する。しかし、ある限界内においてはそれはブルジョアジーに対立してプロレタリアートにも奉仕しうるのである。不幸なのは、ボルディガ主義者が、民主主義とプロレタリア独裁を、弁証法的に代替しあう歴史的制度であると理解することができず、一方は善で他方は悪である2つの抽象的原理であると考えていることである。

 最後に、ロシアについて論じた第5項を取り上げたい。これは信じられないほど奇妙なものである。それが言明するところでは、ボリシェヴィキが国民議会[憲法制定議会]のスローガンを支持したのは、「ツァーリズムの崩壊から資本主義支配の復活に向けた試みがなされるまでの、きわめて短い期間……」だけだそうである。実際には、ロシア社会民主労働党は、その存在の最初のときから、すなわち1883年から国民議会のスローガンを提出していた。このスローガンは、今世紀初頭以来、プロレタリアートと党を教育するうえで巨大な役割を果たした。1905年革命はこのスローガンのもとで展開された。2つの革命に挟まれた時期において、ボリシェヴィキの全活動は次のスローガンのもとで遂行された。

1、民主共和国

2、土地を農民に(民主主義的土地改革)

3、8時間労働制(労働者民主主義の要求)

 だが、ボルディガ主義者はまちがいなく、これらのいっさいが完全な誤りであり、プロレタリア独裁の真理がまだ発見されていない暗黒期の産物であると説明することだろう。

                           1931年1月15日

英語版『トロツキー著作集(1930-31)』所収

『トロツキー研究』第27号より


  

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