お知らせ&更新情報

(2002.11.13)ちょうど1ヵ月ぶりの更新です。次号の編集も一段落ついたので、そろそろこちらの更新に戻ります。まず最初は、「革命と反革命に関するテーゼ」(1926年11月26日)です。この論文は読者からのリクエストにもとづくものです。次に何をアップするか今のところ白紙なので、どしどしリクエストしてください。

(2002.10.13)『ニューズ・レター』第33号に掲載済みの論文「統一戦線について」(1922年3月2日)をアップします。

(2002.10.4)久しぶりに更新します。トロツキー研究所のホームページにアップ済みの『トロツキー研究』第38号の諸論文で、次の4本です。「左翼ブロックに対する党の戦術」(1921年6月16日)、「統一戦線――第1回コミンテルン拡大執行委員会総会での演説」(1922年2月26日)、「統一戦線と左翼ブロック――第2回コミンテルン拡大執行委員会総会」(1922年6月8日)、「フランスにおける労働者政府」(1922年11月30日)。

(2002.9.12) ドイツ・ファシズム・シリーズの最後として、「新しいインターナショナルの必要性とその諸原則についての決議(4者宣言)」(1933年8月26日)をアップします。足かけ2年にわたって、断続的ながら、ドイツ・ファシズム関係の文献を合計で50本近くも系統的にアップしてきましたが、今回のアップでいちおう一区切りにしたいと思います。ドイツ・ファシズムの台頭から、ファシズムの勝利、インターナショナルの崩壊と新しいインターナショナルへの方向設定に至るまで、膨大な文献がトロツキーの手によって書かれました。これらの文献は、トロツキーの書いたものの中で最重要の部類に属するばかりでなく、当時における歴史の大転換の生きた記録として世界史的にも重大なものです。そしてこの事件こそが、トロツキーをしてコミンテルンへの決別と第4インターナショナルの創設に向かわせた決定的な事件でした。

 このホームページでアップした文献のほとんどは、すでに何らかの形で翻訳されていましたが、今回、その多くをロシア語から訳しなおし、かなり散見された誤訳を修正し、より読みやすく正確なものにすることができました。この細々とした事業におつき合いくださった読者の皆さんには感謝申し上げます。

 さて、今後は、『ニューズ・レター』と次号の『トロツキー研究』の準備に入りますので、しばらく新しいアップはできません。適時、すでに『トロツキー研究』に掲載済みのものをアップすることでご容赦願います。次号の準備が一段落した時点で(今年の11月ごろ)、新しい文献の翻訳・アップに着手したいと思います。それまでに、何かリクエストがあれば、どしどしメールでご要望ください。著作でないかぎり、できるだけリクエストにお応えしたいと思っています。それではまた( ^_^)/~~~

(2002.9.7)2つのインターナショナルの崩壊」(1933年8月17日)をアップします。

(2002.9.3)もう9月ですか。早いですね。困った、困った(何が?)。9月最初のアップは2本です。「スターリン=マヌイリスキー=ロゾフスキー一派と同一のインターナショナルにとどまることは不可能である」(1933年7月20日)と「新しい共産党と新しいインターナショナルのために」(1933年7月27日)です。

(2002.8.29)再開第9弾として、「青年運動について」(1933年4月10日)をアップします。今月はこれで6本目ですね。そろそろ次号の『ニューズ・レター』の準備がはじまり、その後すぐ次号の『トロツキー研究』の準備が始まるので、このように順調にアップできるのは、あと1週間ぐらいですか。

(2002.8.24)再開第8弾として、「左翼反対派と社会主義労働者党」(1933年4月27日)をアップします。

(2002.8.19)再開第7弾として、「ドイツの決議案に答えて」(1933年4月21日)をアップします。

(2002.8.13)再開第6弾として、「新たに共産党とインターナショナルを建設しなければならない」(1933年7月15日)をアップします。

(2002.8.8)再開第5弾として、「反革命の経済的攻勢と労働組合」(1933年3月30日)をアップします。今回のドイツ・ファシズム・シリーズは、ナチズムの勃興(1930年)からナチスの勝利と第3インターナショナルの崩壊の確認(1933年)までで一区切りと考えているので、あと数回で終わりにしたいと思います。次に何を中心にアップしていくかはまだ決めていません。何かあればリクエストしてください。

(2002.8.3)再開第4弾として、少し前のものですが「アムステルダム反戦大会への声明」(1932年7月15日)をアップします。

(2002.7.30)再開第3弾として、「反ファシズム大会に関する手紙」(1933年3月23日)、「ブランドラー派の政綱」(1933年5月22日)の2つをアップします。もうそろそろ、このドイツ・ファシズム・シリーズも終わるのですが、次からどういう文献を中心にアップすればよいか、いろいろ考えています。何かリクエストがある人がいれば、メールをください。

(2002.7.25) 再開第2弾「反ファシズム大会への声明」(1933年4月)をアップしました。

(2002.7.15)次号の準備が一段落しましたので、再びファシズム関係の論文のアップを開始します。まず再開第1弾は、「ジョルジュ・シムノンによるインタビュー」(1933年6月6日)です。

(2002.7.10)スペイン情勢に関する質問への回答」(1937年9月14日)をアップしました。

(2002.6.30)『日本』問題」(1915年1月6日)をアップしました。

(2002.6.23)日本、中国、ソ連――アメリカのUP通信とのインタビュー」(1932年2月29日)をアップしました。

(2002.6.16)日本と中国」(1937年7月30日)をアップしました。

(2002.6.10)次号の準備をしているあいだは、新しい論文をアップすることがなかなか難しいので、すでに『トロツキー研究』に掲載されたものを、少しずつアップしていくことにします。まず最初は、「歴史の客観性とは何か」(1933年4月1日)です。

(2002.5.27)すでにトロツキー研究所のホームページにもアップしている『トロツキー研究』第37号所収の諸論文をこっちにも一気にアップします。「党に対する強襲」(1912年3月14日)、「選挙カンパニアの諸問題」(1912年3月14日)、「全党員への訴え」(1912年4月23日)、「チヘイゼへの手紙」(1913年4月2日)、「統一の諸問題(編集部から)」(1914年4月9日)、「統一のための闘争とマルクス主義的中心」(1914年7月6日)の6本です。

(2002.5.23)いつのまにか、1万アクセスを越えていました。祝、1万アクセス突破! 1万アクセスを突破するのに、丸2年以上を費やすとは…。なんてマイナーなサイトなんだ!!! いいのかそんなんで!!! それはそうと、現在、『トロツキー研究』の次号の準備にかかっていますので、当分、新しい論文のアップはありません。あしからず。いずれ、『トロツキー研究』第37号の諸論文をこっちにもアップする予定ですが、忙しすぎて、なかなか時間が取れませんm(_ _)m。

(2002.5.9)1日遅れですが、祝! 「トロツキー・ライブラリー」開設2周年! もう2周年ですか。早いものですね。今後ともこつこつと論文をアップしていきますので、ご愛顧のほど、なにとぞよろしくお願いします。

(2002.5.1)ちょうどメーデーなので、ドイツ・ファシズム関係でかつメーデー関係の論文「オーストリアのメーデーの後で」(1933年5月7日)をアップしました。

(2002.4.26) 少し早めですが、ドイツ・ファシズム関係の論文を1本アップします。「スターリニスト官僚の外交政策について」(1933年5月12日)です。

(2002.4.22)前回と同じく、ヒトラー勝利後のオーストリア情勢を論じた「外交的・議会的クレティン病」(1933年6月13日)をアップします。

(2002.4.16)前回更新が遅れたので、今回は少し早めに更新します。ドイツ・ファシズム成立後のオーストリア情勢を分析した「次の焦点はオーストリアだ」(1933年3月23日)です。

(2002.4.12)更新が少し遅れましたが、ドイツ・ファシズム関係の論文をさらに1本アップします。「ファシズムと民主主義的スローガン」(1933年7月14日)です。

(2002.3.27)ドイツ・ファシズム関係の論文をさらに1本アップします。「ヒトラーと軍縮」(1933年6月2日)です。

(2002.3.21)ドイツ・ファシズム関係の論文を1本アップします。「ヒトラーはどれだけ長く持ちこたえることができるか」(1933年6月30日)です。

(2002.3.15) 次号の準備が一段落したので、再びドイツ・ファシズム関係の論文をアップします。まずは「国家社会主義とは何か」(1933年6月10日)です。

(2002.3.9)久しぶりに2つの文献をアップします。いずれも『ニューズ・レター』に掲載済みのものです。「パリ総会の諸決議(1910年1月)、「団結の自由と請願カンパニア」(1911年6月25日)です。

(2002.2.16)グーグルの検索窓を流用したサイト内検索窓をトップページに設置しました。これで、必要なキーワードを入力して、お探しの文章を見つけてください。

(2002.1.31)『トロツキー研究』第36号に掲載されたうち6本の論文を一挙にアップします。基本的に、「トロツキー研究所」のホームページにアップ済みのものですが、それぞれ解説を加えています。「わが党とその課題」(1909年6月2日)、「党の道へ」(1910年2月12日)、「統一へ――あらゆる障害を越えて!」(1910年4月3日)、「ロシア社会民主党」(1910年8月28日)、「ロシア社会民主党の発展傾向」(1910年9月9日)、「差し迫った問題」(1911年11月)。

(2002.1.29)次号の『トロツキー研究』の準備で忙しく、今年になってから、「トロツキー・ライブラリー」の更新を怠っています。すいません。そのうち、『トロツキー研究』第36号掲載の論文をいくつかまとめてアップする予定です。その間に、英語のページをでっち上げておきました。

(2002.1.1) あけましておめでとうございます! 昨年は、独自ドメインを取得したり、ドイツ・ファシズムに関する諸論文を系統的にアップするなど、大きな飛躍をすることができました。今年もトロツキー・ライブラリーをよろしくお願いします。今年中には、アップ論文数は200本を越えると思いますが、あいかわらず地道にこつこつとやっていきます。なお、昨年分の「お知らせ・更新情報」は別のページに移しました。


 

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